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Author:rfuruya4
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長い付き合いでく知ってはいても、コンビを組んで仕事をしたりすることは、よほどのチャンスがないとないものである。

この年末年始いろいろ連絡を取り合って計画を練ってきたのが、
カワサキのレース関係者の20年ぶりのOB会である。
それを主役でやってくれたのが清原明彦君、
私もほんのちょっとそのお手伝いをしたのだが、コンビを組んでやったことには間違いない。

もう40年以上のお付き合いで、よく知ってはいるのだが、
一緒に何かをやったのは初めてのことである。


清原明彦。 有名ライダーである。
今は pro shop KIYO のオーナーでもある。

このホームページのabout KIYO にその輝かしい経歴が載っている。



長いお付き合いではあるのだが、この写真の頃の有名なキヨさんはほとんど知らなくて、まだ20前後の駆け出しの頃、モトクロス中心で走っていた頃を一番よく知っている。

確か、星野一義と同い年で、カワサキレースチームで二人ともまだ20歳前、ぺいぺいだった頃である。
今回はその東京の星野にあわせて日程を組んだのである。

そして、当時神戸木の実クラブの主宰者で山本、金谷、歳森、清原のお師匠さん、片山義美さんも特別出席でお招びしたのである。

Z1会の会長の大槻さんの日程が当初のままだと欠席になると、再度星野と調整をして、この日取りが決まったりした。

キヨさんといえば豪快な走りがウリで、こんな会の幹事や世話役のイメージは全然ないのだが、ビックリするほど几帳面で経過報告も適切だし、
何よりも人の気持ちを大事にする心遣いが特によかったと思っている。



★今回OB会は、ひょんなことからスタートしているのである。
キヨさんの先輩のテストライダー、あの伝説の青野ヶ原を走った飯原武志、金谷秀夫、清原明彦と廻ったZ1会のゴルフで、
なんとなく『OB会もう一度やろうか』という話が4人の間で出たのである。

OB会といっても正規にやるとしたら人数も多すぎて大変だし、
『川崎航空機時代のーー』ということにしよう。
ライダー中心でやろう。だからキヨさんが面倒を見ることになったのである。


★今月の21日有馬泉郷荘、22日三木セブンでゴルフというスケジュールだが、
キヨさんこのブログ読むだろうか?

あんなに几帳面なのにパソコンは苦手のようである。
実はごく最近電話があって、
『ブログ、どうしたら読めますか?』と聞いてきたのである。

Googleの検索で『清原明彦、雑感日記』と打てば見つかるよと答えたのだが。

『なぜ?』『みんな読んでるみたいだもん、明石カワサキも知ってた。』
などと言っていた。


今回まだ、今からである。懸案であったOB会である。
ライダーたちは錚々たる一流クラスである。

旧いと思われる順に
片山、安良岡、飯原、山本、歳森、岡部、金子、金谷、和田、星野、清原、加藤、杉尾、竹沢、塚本、梁など
日本は勿論、世界の舞台でも活躍した個性豊かないいメンバーである.


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荒井市次さん

24日から私のgooのブログの検索ワードのトップに『荒井市次』が続いた。
なぜかなと不思議に思っていたが、今朝60おじさん、山本隆君のブログを見てホントにビックリした。
http://nana12.blog.bai.ne.jp/?eid=126204

丁度1年前、ON ANY SANDAで、あんなに元気に昔のままの荒井市次の走りを見せてくれた。
現役時代、荒井、山本のバトルは幾つも見たが、一番印象に残ったレースと言ってもいい。
70歳とはとても思えぬ荒井がそこにいた。

『ビンテージな走り、荒井市次、山本隆』とブログにアップして、
ダートヌポーツにも載せて貰ったりした。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/0ef2e056541b047b1a0b877f695abcfb

あんなに元気だったのに。
心からご冥福を祈ります。

ファン

どこの世界にもファンはいるものである。

世界ではレースライダーの地位は高いが、日本ではそうでもない。
まして40年も前のチャンピオンのことなどと思っていたが、好きな人は好きなのである。
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もうずっと昔のモトクロスチャンピオンの山本隆君と昨日はON ANY SANDA というヴィンテージモトクロスを愉しんできた
カワサキの創生期のファクトリの中心選手であった。
あの星野一義の兄貴分でずっと彼を引っ張ってきた。
当時の最優秀選手としてMFJから表彰されて、ご褒美にヨーロッパ旅行をプレゼントされたりした。
まだ海外旅行など珍しかった時代である。


昨日は一時代後のカワサキのファクトリーライダーの立脇君も来ていて、写真のサインなども行なわれた。

マイピクチャ 181s-
マイピクチャ 186s-

マイピクチャ 216s-


彼の周りにはファンたちが集まってきた。
岡山からの人や、名古屋からの人もいた。
わざわざ旧い雑誌を持参してそれにサインをせがむ人もいた。

一番ビックリしたのは、当時の記録をもマメに集めて、山本が出た全てのレースをノートに書き抜いてあつめていた。

山本隆は勿論、
歳森康師、星野一義、岡部能夫、梅津次郎、木村夏也、吉村太一、田中隆造、小嶋松久、久保克夫、矢島金次郎など懐かしい名前が見れて、当時を思い出した。

40年前は、そのど真ん中にいたレースの世界。

一種独特の雰囲気をもっているし、その世界にいた人だけが分かり合える何かがあるのである。

MFJ全日本モトクロス、その幕開けのレースが奈良県の名阪スポーツランドで行なわれた。

昔のレース仲間と一緒に車を走らせた。

レース独特の雰囲気も堪能してきたしそれ以上に

昔の仲間たちとも久々にお会い出来て、楽しかった。

レースに興味のある方、是非一度見て下さい。
普通では撮れない写真がいっぱいです。この世界の有名人もいっぱいです。
60おじさんこと、元全日本モトクロスチャンピオンの山本隆君が、
ON ANY SANDAのブログを更新している。

余り、数多くは更新されない貴重な?ブログなのでご紹介したい。

撮られている、写真は当日沢山応援に来ていた山本ファミリーの、
多分kakogawalionyaさん(RM250さん)が撮られたものと思う。
上手く、撮られている。主催者の高下さんも写っている。


私のこの日のほかのブログも、

ON ANY SANDA in ANNEXPARK

楽しい人たち、昔の仲間たち

ヴィンテージなマシンたち

鈴鹿8耐

今年で30回を迎える鈴鹿8時間耐久レース。

29日11時30分にスタートする。 感動のゴールは7時半、夏でももう暗い。

ライトアップされた優勝マシンがゴールインするときには、サーキットのいる総員が拍手と感動で優勝マシンを迎える。
あの一瞬がたまらない。そこにいた人でないと解らない感動の一瞬である。

8時間を走りきることは本当に難しい。 予想も出来ないいろんなドラマが展開される。


最も盛んであった1990年当時から何年間か、7月末は毎年鈴鹿にいた。
1週間前の6耐、前日の4耐そして8耐とまさに8耐ウイークで、暑さと共に1週間を過ごしていた。

20万人近い観衆が集まり、島田しんすけのチームや岩城洸一が総監督を務めたチーム月木などの有名人も参加して賑やかであった。


8耐と言えばホンダで圧倒的にホンダが強かった。
30回の中でカワサキはたった1回の優勝であるが、その頃のレースに関係していたのは本当にラッキーであった。

1993年夏、ラッセル、スライトによって悲願の優勝が達成された。
この年には塚本昭一、北川圭一の日本人ペアも5位にはいっている。

翌朝、シャンパンでの乾杯で会議が始まったのをよく覚えている。
もう亡くなってしまったが、岩崎茂樹君がモータースポーツ部長になった年である。

耐久の本場フランスで、ルマン24時間に2連覇したカワサキチームフランスも何度か鈴鹿8耐にエントリーしたのだが,勝つことは出来なかった。
鈴鹿独特のスピードが要求される過酷な8時間なのである。


30回の記念大会の今年は、どんなドラマが展開されるのであろうか。

星野一義君のこと

「日本一速い男」 とレース界で名を馳せた星野一義。

大スターであることは間違いないのだが、
私たちと同じ頃のKawasakiのレース仲間たちにとっては、17歳の頃にチームにジョインした初々しい新人、星野のイメージがいつまで経っても消えないのである。

当時のカワサキコンバットに安良岡健を慕って入門し、今一緒にホシノインパルを経営する金子豊君などとチームメートであった。


図抜けた天性のレース素質を持っていて、デビューして半年でノービスの全日本を制している。
今、スズキのレース総監督の吉村太一、太一ちゃんと同期で常に優勝を争っていた。

カワサキに居たころは、若かったのでどうしても 「可愛かったいい奴」 という印象が強く、事実もう20年も前になるがレースのOB会での席順は、清原明彦と共に末席であった。

三橋実が引退してカワサキコンバットがなくなってからは、神戸木の実クラブに移籍し、山本隆、歳森康師、金谷秀夫などのカワサキライダーたちとと一緒に活躍した。

私がレースチームを離れて、仙台の営業に移ってからも山本などと一緒にしょっちゅう東北のレースに来てくれた。
そして、歳森が日産の4輪レースに転向したあと続いて、4輪レースの世界に入ったのである。



私が彼の優勝シーンを最後に見たのは、1990年3月4日、鈴鹿で行われた 「2&4」 でF3000で優勝したときで時ある。
そのビクトリーランの最後に、チームグリーンのパドックの前でわざわざマシンを止めて話しかけてきた。

そんな心遣いが、優しい星野一義である。
ちなみに、その「2&4」でカワサキは優勝は逸したがドーソン、塚本、宗和が2,3,4位を占め、つい最近世界を2年続けて制したスズキの北川が当時はカワサキで7位に入っている。
F3ではビートの和泉、高橋がワン、ツーフィニッシュで、星野の優勝を含めいい気分であったのを覚えている。


そんな星野一義が 「はじめてレース場を走った日」 のこと、ご関心がある方はどうぞ。

長い間、カワサキの単車の仕事に関係した。
人生の半分をこれに従事したといえるだろう。

そんな話を今まで沢山ブログに書いてきた。
そんな話の中から面白そうなものを、ここでもご紹介したい。

まず、「カワサキがはじめて鈴鹿を走った日」

走ったライダーは、ロードのライダーではなくて、
元モトクロス全日本チャンピオンに何度も輝いた山本隆君である。

まだ、カワサキがモトクロスしかやっていない時代で、ロードレースに出る許可は会社からは出ていなかった。

どうしても山本が出たいというので、山本だけでは頼りないからとロードをやっていた北陸の塩本と二人でエントリーした。

鈴鹿のモトクロスに出るということにしていたのだが、マシンはそろっと2台、メカニック松尾勇さんの手作りであった。

その素材を提供してくれたのは、私の仲間で現川崎重工業会長と今では偉くなっている若い頃の田崎雅元さん。

プラクテイスのタイムは予想通り全然駄目で、とても入賞など狙えるものではなかった。90ccクラスではあったが3分40秒をきるのが難しいレベルだった。

ところが、当日は雨になったのである。
モトクロスライダーの山本には天の助けだったのだろう。

最終回まで3位の滋野のあとをスリップストリームでつけてゴール直前、滋野をかわし3位入賞を果たしたのである。優勝者はホンダの神谷忠であった。

当日現場から「ヤマ3 シオ8 セイコウ カワ」と川合寿一さんから自宅に電報が入ったのを昨日のように思い出す。

これを契機に会社もロードへの進出を正規に認めて、約1ヵ月後6時間耐久レースに3台6人のライダーで出場することになり、カワサキのロードレースがスタートしたのである。


このブログを書いたお陰で、山本隆君とも何年ぶりかでお付き合いが復活した。
田崎さんは、その後のこれに関連したブログにコメントもくれた。


そんな昔仲間の復活した、私にとっては忘れられないブログでもある。

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