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Author:rfuruya4
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上海万博が始まった。
いろんなニュースが流れてくるが、
40年前の大阪万博の頃が懐かしい。

日本も中国のように元気だったし、
私自身も若かった。

カワサキもようやく
『実用車のカワサキ』から
『スポーツ車のカワサキ』に
脱皮しようという時代であった。

カワサキも元気だった。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/face61a3d46ca3167d684bda9765379e
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明日の取材記事に対応するために、『自分のために纏めた』カワサキ赤タンクの時代も、今ではどのくらいの方が関心をもたれるのであろうか?

ただ、バイクの専門雑誌が当時を取材しようと言うのだから、
満更、無関心でもないのかも知れない。

たまたまだが、
私のブログにコメントがあって、その方とも会うことにした。
これは現実の今の二輪の対する対応の話である。

不思議なことである。

10時に、カワサキワールドでその方とお会いし、
12時半から、雑誌社の方と同じ場所でお会いする。

明日は、記念すべき日になるかも。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/1fe582c5c1ca19444c78a958976c351f
冬季オリンピックの年にまた会いましょう。

22年ぶりに行われたカワサキのファクトリOB会でしたが、盛り上がって今後4年ごとにということになりました。

もうみんな還暦を過ぎた人も多いので、20年先などでは可能性がないからです。

『カワサキバイクマガジン』や『風まかせ』の記事にもなったりした。

世界に名の通っている有名人の集まりでしたが、仲間内では40年前のレベルに戻ってのいい会合でした。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/1e138a8cd4c7a1bddf23b15348ebe258
今年もZ1会がスタートしました。

カワサキのOBたちの集まりのゴルフです。

今年は1月にもカワサキファクトリーのOBたちの会合がありました。それはバイク雑誌が取材するほどの有名人の集まりです。

日本のチャンピオンが殆どですが、世界に通用するビックネームでないと記事に出てこないほど、有名人がいっぱいです。

そんな記事をブログで紹介しました。


こちらの方にも関連記事を書きました。
今、やっているNPO法人The Good Times の全員が会員です。

こんな人たちと今でも繋がっておるのは、私の誇りです。
★ツイッターをやりかけたのは昨年の12月である。
昨年秋ごろからいろいろ動きがあって政治家の方が多く参入されだしたのが11月ごろだったか。
元旦に鳩山総理が始められて、新聞にも取上げられて世間の話題になったりした。

もう4ヶ月になるのだが、まだよく解らないところが多い。
本など買って来て読んだりしたが、それでもよく解らない。
『あなた今何してる?』という設問に対する答えからスタートしているのだが、
使う人のコンセプトでどんな風にもアレンジできるのではと思っている。

★先日の朝日に、商売に使えると大きく出ていたが、
間違いなく個人よりは公の組織で使った方が、断然いいと思う。

公的組織の堅苦しさを一気に中和させる『いいものを』持っていると思っている。
大体、公の難しく長い文章よりも、140字以内のつぶやきの方が、核心にも触れることが出来るし、文章も推敲できる。

広告を作るのとよく似ている。
それに140字は、英語はほんの短文だが、日本語は相当量の内容が書ける。
漢字の利点である。

★今日から、『カワサキモータースジャパンの公式ツイッター』がスタートするという。

個人的なもので、清水泰博君がツイッターを始めたのは2月のはじめである。
清水君は入社当時からよく知っているが、一番印象に残っているのは、小林君と組んでやっていた広告宣伝課時代である。カワサキの広告が一番生き生きしていたと思われる、車で言えばゼファーの時代であった。

そんなセンスの片鱗が残っていて、ツイッターもなかなかのものではあったが、
個人情報は所詮は個人情報の域を出ない。
是非、公のものを出せばいいのにと思っていた。

今現在、何もつぶやいてはいないのに、既にフォローされている。
『まっしま』さんや『カバン屋』さんは昨夜のうちにフォローである。流石だと思う。
私もフォローした。 かろうじて10番目である。



★おめでとうございます。
今日からスタートのようですが、いい情報を期待します。

国内ではヤマハだけが先発で、2番目になる。

カワサキはどんなツイッターを目指すのだろうか?


★今、NPOの関係で応援している『潮流、海流発電のノヴァエネルギー』も3月から。
公式ツイッター』とこれを自動的にまとめていく『ブログ』とを連動して立ち上げた。

半月だが既に500人を超す方がフォローしてくれている。
今月中の目標が1000人である。
幾らつぶやいても聞いてくれる人が少なくては、何をしているのか解らない。

500人のなかの10%約50のリストが既に作られているのは、情報の質の高さと、フォローいてくれる方の関心度を示していると思っている。


三木のたった4人のベンチャー企業だが、夢は大きく国を巻き込んで世界へ羽ばたくことを夢見ている。
その広報活動は、始まったばかりである。

今週あたり、朝日新聞へのパブリシテイ、記事になるかも知れない。

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もう何年も前から、もう一度OB会をという話はずっとあった。
かって1度だけやったことがある。
巨人の定宿として有名であった芦屋の竹園旅館で開催したのが、もう20年も前の話である。

その時の写真などを今年の夏、山本隆君がブログで公開した。



この写真は、小さくて解らないから上のリンクのブログの写真で見て下さい。
当然のことながら、20年前はみんな20年は若かったのである。
真ん中に座っておられる西海さんは、つい先日亡くなられて、その葬儀に参列したばかりである。


★この写真のなかの15名ほどは今回も集まる。
1列目は高橋さん(元川重副社長)と右端の大槻さん(元川重常務)だけだが。
2列目の左から、岡部、金谷、平井、田崎(元川重社長)古谷、安良岡、和田、山本、清原は今回の主力メンバーである。
キヨさんが今回世話役で、高橋、大槻、田崎、平井、と私はスタート当時のレース担当仲間として招んで頂いた形である。
この写真の最後尾右端が星野一義である。

当時は、OBの末席が清原と星野であった。
20年経って今回は塚本、竹沢、杉尾、梁、やトライアルの世界やパラグライダーで活躍の加藤文博君も来る。

カワサキのモトクロス初戦青野ヶ原を走った飯原、当時のメカニックの藤原良さんや吉田君、
神戸木の実の歳森や御大の片山義美さんも、
カワサキコンバットにいて、今は星野インパルの金子豊君も。
みんな素晴らしいメンバーである。


★40年以上も前、明石工場の小さなレース職場に、毎日こんな仲間がたむろしていた頃は、みんなこんなにエラクなったり、こんなに有名になるとは思ってもいなかった。
星野一義だってまだ17歳の少年だったし、金谷もひょんなことでカワサキに入ってきたし、加藤文博君も、安良岡健さんに頼まれて、福島の草レースで初めて会ったのである。

もっと驚きは、一時はお荷物と言われた単車事業から、川重の社長や副社長が出るなど、夢にも思わなかった。
40年も経つと、みんなエラクなるものである。


★そんな素晴らしいメンバーだが、私たちカワサキのレース初期のメンバーたちにとっては、多分最後の機会になるだろう。
業界紙誌の世界で今も活躍中の石井さんも今回参加と聞いたので、
カワサキの歴史を一番よく知っていて、今尚現役の二輪車新聞(オートバイ)の衛藤誠さんにも耳うちだけはした。
もし、KAZEも取材ご希望ならお気軽にどうぞ。


★このメンバーの半分以上は、
既にNPO The Good Times の役員や会員メンバーである。
この機会に残りの方も、全員の参加をお願いしたいと思っている。

その上で、翌日のゴルフ場三木セブンハンドレッドクラブは、既に団体会員なので、このコンペを機会に、The Good Times 会員への特典割引をスタートしようと企画中である。

また新しい世界への幕開けとなる、カワサキファクトリーOB会となって欲しいものである。

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兵メの西海さん

『兵庫メグロの西海さん』
カワサキのレースの黎明期に、本当にお世話になった。

そんな西海さんが、突然亡くなられた。
thiraiさんが昨年から『兵メ』でお世話になっていて訃報もthiraiさんから連絡があったのである。

カワサキがまだ、『レースのいろは』すら解らなかった時代に、
カワサキのレース活動にいろいろと具体的に助言をして頂いたり、具体的に動いて頂いたのは、
西海さんなのである。

西海さんが居られなかったら、
カワサキのレースはまた違った道を歩んだであろう。
多分あんなに発展したレース活動にはなっていなかったと思う。

西海さんは、その頃はすでに引退はしておられたが、
兵庫メグロを経営されると同時に、かっては『オートレース』のプロライダーでもあった。
そんな経歴が、当時の神戸木の実を主宰する片山義美君なども、一目も二目もおく存在であったのである。

そんな関係で、カワサキの初期のモトクロスの契約ライダーとして、
神戸木の実所属の山本隆(60おじさん)や歳森康師がカワサキに来たのだし、
金谷秀夫が最初に乗ったメーカーもカワサキだったのである。

ライダーだけではなしに、カワサキの名物メカニックであった故松尾勇さん、
カワサキのF21Mは、松尾さんが独りで造ったようなものだが、
その松尾さんは、西海さんの兵庫メグロからレースをやるために川崎航空機に来られたのである。



カワサキのファクトリーとしての最初のレースと言われる、
青野ヶ原のモトクロスも、実質西海さん主催みたいなもので、西海さんが居られなかったら、実現はしなかったと思われる。

この写真にも載っている『飯さん』からも、『西海さん亡くなった』と連絡が入った。
みんな昔からの仲間なのである。

西海さんがレースのことで一番密接に繋がっていたのは、
山田さん(元川重副社長)やこの写真にも載っている中村治道さんなのだが、お二人ともちょっと出席できないのは寂しいことである。
逆に言えば、そんなに昔のことになってしまったのである。



もう20年も前に、レースチーム結成25周年を記念して開いたレースOB会のときの写真である。ちょっと小さくて見えにくいが、
山田、高橋両元川重副社長の真ん中に居られるのが西海さんである。
このときは元川重社長の田崎さんも2列目である。
星野一義や清原明彦もいるがOBとしては末席のそんな時代であった。
60おじさんも、thiraiさんも、金谷秀夫も勿論いるし、Z1会の大槻さんもいる。

来年の年明けには、キヨさんが幹事で、このとき以来のOB会をやることになっている。
そんな風にまだ続いているお付き合いである。

そんな人の繋がりの、真ん中に居られた『西海義治さん』
有難うございました。安らかにお眠り下さい。

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『卒業した学校がなくなってしまった』

あまり普通では経験しないことである。
私は、実はそんな数少ない経験を持つ一人である。
戦前、今の韓国のソウルにいて、小学校、中学校はソウルにあった。
終戦の8月15日を以って、突如学校は閉鎖されてしまったのである。

日本に戻ってきて、桜ヶ丘小学校の同窓会なども開催されたりしているが、
決してメンバーは増えることのない減る一方の寂しい同窓会なのである。



少なくとも、学校、教育というものはある理念に基づいて設立され、
そこではモノを作るのではなくて、『人』を育ててきたはずである。
単なる、工場閉鎖などとは、全く次元が異なる問題なのである。
それゆえに、設立には厳しい審査があり、工場やショールームのように簡単に建てたり作ったりは出来ないのである。

残念ながら、
『カワサキライデングスクール』が突如として、閉校になってしまった。
そうなるという話だけは、私の耳にも入っていた。
なぜ止めるのか? その理由を定かに聞いてはいない。

今朝、KMJのホームページを見たら、どこにも何も掲載されていない。
『カワサキライデングスクール』で検索すると。

こんな閉校のお知らせが現われた。

なぜ、止めなければならないのか、1行の説明すらない。
川崎重工業というちゃんとした会社の系列企業としては、その対応や心遣いがとても十分とは言えないと思う。

止めたらダメだと言っているのではない。
止めるなら、ちゃんと止めることに対して、卒業生を始めお世話になった方への礼儀というものがあるだろう。
どこかに書かれたそんな文章を、私が見逃しているのかも知れない。

つい先日までは、こんなサイトを掲載していたのである。

そこには『交通安全はカワサキの願いです』とあり
卒業生のこんなコメントが紹介されているのである。





それにしても
カワサキの二輪車事業に対する安全運転とはいかなる位置づけなのか?
企業の社会的責任をどのように思っているのか?
単にモノさえ売れて儲かれば、それでいいのか?
など、一般の疑問点に応える姿勢が必要であろう。

それでもなお、撤退を余儀なくするほどの理由があるのだとは思うが、
やはり『残念なこと』ではある。



なぜ、こんなことを書いているのか、

実は私のmixiに カワサキライデングスクールの卒業生の方から、
1週間ほど前から、こんなブログのコメントが何回かに分けて届いているのである。

『はじめまして。雑感日記のリンクからこちらにたどりつきました、
カワサキ超初心者です。(バイクも購入したことがない免許取り立て30代です。)
足跡帳がないみたいだから、かわりに書かせて頂きます。
僕もカワサキライディングスクールで9月にとったばかりなのです。
僕の、先祖代々のお墓は明石の林のへんでして、それで、子供のころから川崎重工の明石工場は圧倒的な存在感があったのです。
いまのところ、ライディングスクールやショールーム閉鎖の件は、いったいどう受け取ればいいのかわかりませんが、きっと良い方向に向かうと信じてます。

ショールームとスクールの件、しつこいようですが、残念です。
もうすぐDトラッカー125ccやklx125ccが発売されれば、小型二輪免許をスクールで取りたい人もいるでしょうし。この2台、本当に若い女性にも受けそうで
せめて、、、、あと半年、待って』

こんなブログのコメントが何回か続いたと、更にメールが届いて、マイミクになって頂いたりしたのである。


卒業した学校がなくなってしまうことは、
そこで学んだ自分の全てを失ってしまうように思えるものです。
是非、そんな人たちへの気持ちだけでも大事にしてあげて欲しいと思います。

この学校の初代の設置者を務めたものとして、
こんな想いの卒業生や関係者の方に、心からのお礼と
今後のカワサキに変わらぬご支援を願いたいと思うのである。
非常に複雑な想いというのが実感です。


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この数日、長年携わったバイクの世界をもう一度思い出させてくれた、
そんな環境の中にいた。
少なくとも、ここで出会ったバイクのプロたちの意見は、非常に前向きで明るいものであった。
そんな雰囲気の中にいるだけでも、楽しいものである。

バイクは楽しい遊びの乗り物である。
生活必需品などではないのである。
ベースに絶対に失ってはいけないのは『遊び心』なのである。
どうもその辺りが、昔に比べて希薄になったのではなかろうか?


土曜日に、出会った平井さんが、そのブログでこんな風に書いている。

そのブログのコメントに、今年は『チームハラダ』を鈴鹿で手伝った春さんが、

『そのとおりですね。今年は、「ひょこむ」の縁がありまして、カワサキプライベーターのレースのお手伝いをさせていただきました。
が.....タイヤサポートも、メインスポンサーも無くプライベーターにとっては、なかなか情熱だけではやっていけない時代のようです。
そんな中でも、お手伝いができ、また、私も素人ながら一緒に参加でき、楽しめる「レース」に興味が持てたので、これから、この下火になっている、レース界を再び盛り上げることのできる何かを見つけることができればと、考えています。』

とこんな、コメントである。
メーカーはともかく、末端のバイクファンは、至って健全な意見を持ち、元気なのである。
『日本のバイク保有台数は、350万台と過去最高のレベルにある。』
『新車が少し売れないだけで、二輪業界は結構面白い。エネルギー問題なども追い風である。』


昨日、今日と2日間、
雷神マッハさんともうお一人の関東のマッハマニアを明石工場にお迎えして、
夜はこんなバイク関係のメンバーでのオフ会、
翌日は、カワサキワールドを訪ねて、ぼけちんさんも加え、昼食をとりながらのバイク談義など、ずっと二輪の世界の中にいた。



明石工場で完成車の生産をすることだけが、二輪事業ではない時代に既になっている。
二輪事業とはどんな事業なのか? 今こそ新しい発想で二輪事業を捉えるべきだと思う。
新車は事業の中心ではあるが、特に事業損益のレベルでは、二輪事業のほんの一部なのである。
『ソレが全て』だと錯覚していないか?


ちょっと、従来の発想に捉われて、発想が固すぎるのではなかろうか?
Zでも、マッハでも、40年前の新車の頃よりも高い値段で、モノさえあればその頃以上に、売れる環境にある。
それをミスミス見逃しているという意見が、末端の市場をよく知っているプロたちの主流の意見である。

『メーカーでこんな旧いバイクの部品をもう一度、作りませんか?』
ユーザーたちの単純な願いなのである。

『型がない、アレがない』『難しい』 いろいろ断る理由を見つけるのは上手なのだが、コレは間違いなく『新しいビジネス』になるはずである。
新車を作るなと言っているのではなくて、ユーザーがホントに欲しているものに対応するのが新しい時代のメーカーの生き方なのだろう。

先日、ko-zaruなる30ccのバイクを作っている、ホンダOBのメーカーさんの佐々木さんに
『Kawasakiの1000ccか600ccのエンジン100台ほど、分けて貰えませんかね』と尋ねられた。 エンジン単体では売らない。
コレはよく解っている。
カワサキフランスが世界耐久でトップを走った頃の『マシンのイメージのクルマ』を再現』したいようである。

末端の価値観は、間違いなく成熟して、多様化しているのである。
今、供給側に求められているのは、単細胞な発想ではなく、末端の希望に柔軟に対応する姿勢と仕組みの創造である。


このマシン『EGLI』のエンジンは、ご存知の通りカワサキである。
エンジン単体でなく完成車を買って、エンジンだけを使うので、マシンとしては高価になるのだと思う。

ただ、そんなに高い車でも、大の男が3人熱心に車から離れないほどの魅力があるようである。
マシンとか、技術オンチの私には、なかなか理解できないが現実は、こんな様子なのである。

ただただ、完成車を作ってそれで経営しようという『メーカー』としての事業には、既に限界が来ているように思う。
本音で言えば、20年前の現役の頃から、そう思っていた。

明石の工場が、事業の主力なのか?
国内外の販社が、事業の主力なのか?
二輪事業とは、その両輪で成り立っているのである。
そして、その収益性は、その自由度と巾の広さから、間違いなく販社の収益性のほうが、圧倒的に高いはずである。

カワサキの単車事業には残念ながら、本社がないので、そんな経営次元の判断が検討されないまま、事業が展開されているのが、一番の問題点であると私はずっと思っている。
他社にある『本社機能』を持たぬまま戦えると思っているのだろうか?
工場がタイなど海外が主力になりつつある現状をよく見て、同じ機能の明石工場が本社であるような事業形態から、
リンカーンやタイのように、『工場は子会社である』という位置づけを、早く徹底すべきだと思っている。

『旧い部品を作ってください』というお願いの善悪はともかく、それを工場にお願いする形態が『おかしいのである』
『それが是か非か』をマーケッテングを通じて、主体的に判断する純粋な本社機能を造らない限り、『今後の二輪事業の発展はない』と信じて疑わないのである。

末端の二輪をよく解っている人たちの意見を聞いていると、そして末端の状況の実態を見ると、
1日も早く、二輪事業の中枢(本社機能)が、直接それらを感じ取る触覚を持った、経営次元のマーケッテング機能と、それに基づく経営次元の判断が成されるべきであろう。

20数年前の事業本部の企画機能も、販社の方向もそんな方向を目指していたはずなのだがーーー。

時代と経営環境の読みこそが、経営判断の鍵だろう。
経費節減などの改善などの数字的な対策では、幾らやってもダメだろう。
求められているのは『構造改革』で、『意識改革』こそが必要である。

末端のホントに解っている人たちの声に、耳を傾けて、『常識でモノを考えたら』正しい結論は直ぐ出るのに、と思っている。
そんなに、難しいことではない。

『新しい仕組みを構築すれば、直ぐ解決する』はずである。
『今時、努力で解決しようと試みる』ことは,ナンセンスである。
『生産』はともかく、『販売はどんな規模でも成り立つ』のが常識なのである。



昨日のブログには
今、台北に行っている、佐賀県武雄市の樋渡市長から『コメント』が
九州の小さな市の武雄でも、『行政の常識』を超えて、
台北にタイ原産のレモングラスを売る時代なのである。

時代は、動いている。発想の転換こそMUST。要は、『考える』ことである。
それが出来ない企業は衰退しかないのでは、と思っている。
この、2,3日改めて、こんなことを思った。

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11月4日、今年最後のZ1会ゴルフが、三木セブンハンドレッド倶楽部で行われた。

最近は、ゴルフの回数もめっきり減って、年に10回も行かないのではというようなことになってはいるのだが、
このZ1会の年4回のゴルフは、今のところ皆勤である。

ゴルフ場が家から10分ほどと近いし、何よりもメンバーが素晴らしいのである。
段々と歳を取って休会する方も出てきたが、総勢60名以上、好天に恵まれ今回も盛会であった。




今回のメンバーは、
72歳になったので、年72回のゴルフを目標にしていると言う永友節ちゃんと、
今年後期高齢者の仲間入りをした、元レース監督やKMCの社長などして、現役の頃からよく付き合った百合草さん、百合ちゃんと、
Z1会最年長80歳の井手哲也先輩である。



みんな70歳以上で、会のルールでもゴールドティーから打つことも可能なのだが、80歳の井出さんが後ろから打とうというので、白くいからの若い人と同じティーグランドである。
ここは、池の前100ヤード以上も前から打てる高齢者優遇のドラコンホールなのだが、後ろから打っているのが井出さんである。

最近は、スコアに拘らない楽しいゴルフがモットーなのだが、
永友節ちゃんが優勝、私もひょんなことで2位に入れたりした。



井手さんとご一緒するのは、はじめてである。
一度お聞きしようと思っていた、カワサキの昔のレースのことをお聞きした。
カワサキのレースの初戦は1963年5月19日兵庫県青野ヶ原のモトクロスということになっている。工場の人たちが初めてレースに参加したのは間違いなく、青野ヶ原が最初である。


何となく、ホントに何となくだが、
もう少し前からカワサキも、レースに参加していたのではないか?
それにもし関係した人がいるとすれば川崎航空機では井出さん、
カワサキ自販では故小野田滋郎さんだと、私は思っているのである。

その理由は、井出さんは『三吉一行君』をよく知っていて可愛がっておられたのである。彼は元々ヤマハで三橋実君などとともに東京スリーホークスのメンバーだった。カワサキにも一時関係はあったが、彼を知っているというのは、青野ヶ原より前ではなかったのか?
『新明和にレースのプロ見たいな人がいたでしょう』
『いたな、名前は忘れたけど』
三吉一行君のリンクの写真の『富士の朝霧高原のレースも懐かしいな』
こんな会話が出来るのも、もう井手さんぐらいになってしまった。
残念ながら、正確には覚えておられなかった。

小野田滋郎さんは、青野ヶ原で大勝したとき、
今までレースに反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様を、
『今までの苦労を知らずにーー』と言われたのである。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのは、間違いなく小野田さんで、
青森であったレースのときである。
青森の八戸や厚木や九州の米軍基地の周辺から日本のレースはスタートしている。
その青森のレースなどは、多分青野ヶ原より前だったような気がするのである。



パーティーはいつも和やかである。レース関係メンバーは半分ぐらいもいるのだろうか。
立って話をして居られるのは大槻会長である。
ちょっと解りにくいが、なぜか一番末席にいるのがキヨさんである。
ウマのダントツ一番人気だったのに、期待にこたえられなかったからだろうか。
一番真ん中に写っているのは、世界一のカワサキフランスチームを率いた遠藤さんである。
その隣が、最年長の井手さん。 いつもイイ雰囲気である。

また、来年である。


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thiraiさんこと平井稔男さんは私と同い年です。

ずっとカワサキ単車のスタート頃からのメンバーで、平井さんより旧い人はもう少なくなりました。
彼が『カワサキの真打ちと言って憚ら』ないのもよく分かります。
もう、50年近いお付き合いですが、
今も、NPO The Good Times の理事さんで手伝って貰っています。
この週末も、一緒に運営委員会でお会いします。


そんな平井さんが旧い単車話を
『カワサキに想う』その1

『カワサキに想う』その2  

と連載しています。
私も知らないような話が出ているので、かいつまんでご紹介し、
知っていることは補足してみたいと思います。



まず『カワサキに想う その1』では


私は満州で生まれたせいか?(それは知りませんでした。私は朝鮮育ちです。)

私は、昭和28年に高校卒業して直ぐ、当時スターリン景気?に沸く証券界の日興証券に初任給12800円で就職したことに始まる。
(コレも初耳です。初任給12800円はビックリです。川崎航空機の初任給は、昭和32年で、12000円でした。)

野球部の親友が「親父がオートバイの問屋をするので手伝ってくれないか」の誘いで、
直ぐに辞めて月給8,000円の近畿メイハツ販売㈱(設立当初は㈱近畿モータース)役員5人の社員一人の会社に飛び込んだのである。昭和28年のことである。
 
丁度、川崎航空機工業㈱がホンダに対抗して製作した自転車につける小さな小さなエンジン(KB-1型60cc)を開発。
(当時の川崎航空機は戦前航空機のエンジン工場であったことから、いろんなエンジンやミッションなどを造ってはいた、エンジンメーカだったのです。)

オートバイの完成車の分野に参入すべく、昭和28年明発工業㈱を設立(今のKMJの前身である)した頃と同時である。
(メイハツ工業は川航からエンジンを買って完成車を作っていました。今のKMJは販社ですが、前身のメイハツはメーカーです。)
 
世界一のオートバイ発展の夜明けだったのである。



『カワサキに想う』 その2では


’60年から社長が高野行彦翌年から社名をカワサキ自動車販売㈱と改名、
(川崎航空機も当時4輪車の開発をやっていましたから、将来に備えて自動車と言う名にしたのかも知れません。ちなみにその4輪車のエンジン開発担当した一人はZのエンジン開発者のあの稲村さんです。) 

’61年に(代表取締役土崎英利に交代)
  ㈱目黒製作所との業務提携により「カワサキ号&メグロ号」の販売を初める。
(私は61年末から、単車営業に異動しました。ほとんど誰も単車の営業専門家は、川航にはいなくて、メイハツやメグロの人に頼っていた時代です。)

’62年にはメイハツメグロを吸収合併私も被害者の一人として明石工場4研に連れて行かれたのであります。
(その頃4研(第4研究所と言う戦前の川航の建物の呼び名です)にいた平井さんと初めて出会いました。兵庫メイハツの拠点でした。)

’63年に会社の販売体制の整備・お客様との緊密化を図る為、全国に120店あった「全国カワサキメグロ会」を「全国カワサキ会に改称」一層販売の強化を図ったのであります。
 
兵庫県はメーカーの地元であり、我々「兵庫販売課(課長松田与一)」が直接販売店に訪問する直需体制、私は主任としてテリトリーを但馬&淡路に担当相当頑張ったのであります。
成果あって’65年には豊岡営業所初代営業所長を務め、Mちゃん・ごっちゃん・クッしゃん・きょうちゃん・綿ちゃん(今はごっちゃンの愛妻)一人で回っていた但馬が5人体制の営業所にまで成長したのであります。
(この時期はカワサキの黎明期であったと思います。平井さん、こんな時期にもう所長さんだったのだ。 所員の一人ごっちゃんは今の東京のファイブテン、今はその息子さんの時代です。ごっちゃんはよく知っていますが、奥さんもそこに居られたとは知りませんでした。)

その間、’65年をピークにマシンも充実、社長も(神武・岩城、)
’66年ここでカワサキオートバイが生まれたのでした。


昔話は、年寄りにとって楽しい思い出話です。
でも、まだ平井さん、兵庫メグロの現役役員さんで頑張っています。

間違いなくカワサキの歴史を造った一人です。

詳しくは、是非ブログをどうぞ。

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川崎航空機工業と言う会社は現存しない。

しかし私が入社した会社は川崎航空機工業なのである。昭和45年、万博の行われた年に、

川重、川車、川航は3社合併して今の川崎重工業となった。

川航は、二輪車やロボットや酸素呼吸器など『造船重機の重工業』とは異なった製品を作っていたし、その体質は独自の若々しく荒っぽいものを持っていた。

そんな川航時代の開発、設計、生産、営業、レース、販売店など二輪事業が出来るのではと思われる多彩なメンバーが集まったゴルフコンペがある。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/7cbccc54259e80cfdad68f217565e542
昨日は、神戸メリケンパークで『ミニ鉄道フェスタ』がありました。

昨年11月以来、2回目です。
イベントは、回を重ねるごとに運営もスムースになります。
やりたい人ばかりが集まるイベントはなおさらです。

今回も全国から鉄道マニアが沢山集まりました。

マイピクチャ 336s-

朝、スタート前の朝礼です。

マイピクチャ 356s-
マイピクチャ 343s-
マイピクチャ 343s-
マイピクチャ 346s-
マイピクチャ 347s-
(クリックするとはっきり読めます)



いろんな人が集まりました。
このイベントの中心人物、北条鉄道の駅長さんでもある、内山先生。
いつものように、北条鉄道の斉藤さんの駅員姿も。
このイベントの総指揮を執るのは川重広報のアツコさんです。
今回は、川重の社長や会長を務めた田崎さんもプライベートで、カワサキワールドの黒田さんも。
満鉄のアジア号を中国まで乗り込んで修復した鉄道マニアの方も。
写真はありませんが、グリーンピア三木の井上さんも、資材運搬の手伝いをされたとか、いつものようにぼけちんさんも勿論いました。

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3時の終了間際に、田崎さんと川重単車技術部の現役ですが大の鉄道マニアで、今回のレール500メートルを作ったと言う古橋君と一緒にミニSLに乗せてもらいました。

マイピクチャ 365s-

今日も、あります。
子どもさんを連れて、行かれてはどうですか?カワサキワールドの入場券で乗車できます。


田崎さんも、NPO,入ってくれました。
ほかの方もいっぱい。
また仲間が増えました。

NPOの仲間と言えば、先日三木を訪れられた『三国座』さんが、こんな風に紹介して頂きました。
そのブログをホームページで紹介しました。みんな、どんどん繋がります。

by rfuruya2
久し振りに、カワサキから国内専用モデルが新発売になる。

DAEG と言うネーミングの由来も難しいが、

今年は、不景気だから多分売れるだろう。

過去のヒットモデルは殆ど不景気な年に生まれている。
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ニューモデルの発表会。

これは昔から派手である。

二輪という商品、その乗り味やスタイルや、雑誌社のロードインプレッション記事は重要である。

オートポリスに全世界からの雑誌社を集めて、こんな発表会が開催された。


昔の裏話とあわせて。



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