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阪神大震災から13年も経ったという。
当日、私は今の家、三木市の家で地震にあった。2階の寝室の寝床の中であった。

突然の揺れと、何か異様な音がして,地震だとは思わなかった。
飛行機か何かが落ちたのではないかと一瞬思ったのを今でも覚えている。揺れ戻しが来てやっと地震だと解った。
幸い家に被害はなく、停電になったぐらいであった。テレビも見れなかったが、そんなに大したことはないと思った。

いつもの通り、犬の散歩をした。

停電のままだったので、私の一番の関心事は、冬で熱帯魚の水温をどのように保つかであった。
それを家内に頼んでいつものとおり、家をでてクルマで175号線を明石に向かったのである。

停電で信号は付いていなかったが、道はいつもの通りであった。いつものとおり30分程で会社に着いた。
ラジオもその時点ではどこかの塀が倒れて新聞配達の人が怪我をしたなどと言っているだけであった。

何人か出社していて、会社の部品庫も新車倉庫も大したことではなくバイクが横倒しになったぐらいであった。
明石の工場にも行ってみた。流石に出社は取りやめになっていた。

工場から当時の本部長の高橋鉄郎さんの自宅に状況報告の電話を掛けた。まだ9時前だったと思う。
高橋さんのお宅は芦屋の高台である。不思議に電話は繋がったのである。


私の関西大震災は、ここからスタートした。

高橋さんは「お前どこから掛けてるんだ」と言われるので「明石の工場ですよ」と答えた。
本音で言うと、指揮官が工場にも出社せずに何をしておられるのかと思っていたのである。
「おい、そこは大丈夫なのか?この辺は火事にもなっているし、高速道路は倒れているし、テレビを見てみろ」

その頃、電気がついてテレビを見て、はじめて仰天をした。

これは大変なことである。
会社などにはおられないと、はじめて思った。 
神戸には親戚もいるし、直ぐ家に帰っていろいろすることがあると思ったのである。

それからが私の阪神大震災の始まりで、もう3時間以上も経った9時ごろがそのスタートであった。
それまでは地震の瞬間はビックリしたがそれ以外は普通の生活と殆ど変らなかった。

最大の関心事が熱帯魚の水温であったなどとはとても言えない震災後のいろんな出来事が起こっていった。
ウソみたいと思われるかも知れぬが本当の話である。
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コメント

私は4時間前まで神戸にいて、岡山の自宅に帰って寝入ったところで揺れがきました。
夕方にはバイクで神戸を目指し、山陽竜野まではかろうじてクリアなのを確認して、大阪行きの自社トラックを福知山経由で9号線へと誘導しました。
その後見た、誰も走ってない通行止めの加古川バイパスから、炎上する長田までの景色は、今でも現実感がありません。

ホントに凄かったですね。
三木があの程度で済んだのが不思議です。

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