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楠見幸信

「楠見幸信」と言ってお解かりになる方はもう少なくなってしまったであろう。

私の母は、99歳まだ健在である。
楠見幸信はその兄だから、もし生きていたら100歳をゆうに越す年齢である。

昭和6年、と言えばまだ私が生まれる前だが、、
その年の日米対抗野球には、あのベーブルースがチームの一員でやってきている。
それを迎え撃った全日本の1番センターを打っていたのが楠見幸信である。
結構有名で、ファンも多かったようである。

東京6大学の最盛期、慶応は宮武、山下、水原、早稲田は伊達、三原など。
慶応黄金時代のメンバーだった。

当時の早慶戦のラジオの実況放送はレコード盤になったりしていた、これは伯父が持っていて戦前のことだが子供の頃に実際に聞いたことがある。
センター前のライナーを突っ込んで後逸した早慶戦の有名な話であるらしい。
『名手楠見だから突っ込んだ』とか確かアナウンサーはそんなことを言っていた。

そのファン層も派手で、歌舞伎の尾上菊五郎宅に下宿していたとか。
当時、既に野球の遠征でアメリカに船で渡ったとか。
プロ野球もない時代だったので、当時最高の人気スポーツで、人気スターであったようである。
全日本のメンバーは全国のファン投票で選ばれた中から更に選考委員が選んだようである。

戦後、国鉄スワローズがプロ球団を立ち上げた時には、多分、東京鉄道チームにいた関係だろうが、初代の総監督に就任した。

当時、渋谷に住んでいて、東京出張時などよく泊めて貰ったものである。
『今度入った金田というピッチャーはいい』とか、
まだ、立教の学生だったが、『長島はいいよ』などと言っていたのを思い出す。



ブログをはじめてから、検索で遊んでいると、
「昭和初期の野球界」なる一文を見つけ、その中に日米野球のメンバーの記述などもあったものだから、自分の記録のために、
exciteのブログのほうに、そっと更新しておいたのである。


伯父には二人の娘さんがいて、泊めて貰っていたころはまだ学生さんだった。
よく知っている。
当然結婚はしているのだが、その旦那さんは知らないのである。

その旦那さんから、昨日、突然そのブログにコメントが入ったのである。
びっくりした。
改めてブログの繋がりというか、
どこまで繋がるか解らない可能性に驚いたのである。

つい先日も、学校の後輩から突然旧い明石のことでコメントが入った。
明石高校の野球のことを書いたブログである。

亡くなられた『小野田滋郎さん』(フィリッピンの小野田中尉の弟さん)のことでも、突然コメントを頂いたりした。
それも、小野田さんに目をかけておられた高野行彦さんの息子さんからである。
『お父様には私もお世話になりました』と書いたら驚いておられた。

『世の中狭い』とは昔からよく言われたが、今はもう『近所付き合い』のようになってきている。
ネット社会の凄さであると思う。


『昭和初期の野球界』こんなに詳しい人もいるのです。
その中に登場する選手たちの中で、山下実さんには中学校の時にコーチを受けました。
前川八郎さんには高校の時に目をかけて頂きました。何故かなと思っていましたが、伯父とチームメートであったからかも知れません。
そんな旧い人たちを知っているだけ、私も年寄りだと言うことでしょう。
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