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有終会と天覧授業

たまたま先日のブログで、旧制神戸一中のことに触れたりした。

昨日、同窓会誌が送られてきた。NO.50号の記念誌のようである。
200ページに近く、全て卒業生から寄せられた文章で構成されている。
同期の連中も何人かが寄稿しているので、
そこに書かれている、同窓生の文章などから、当時を思い出してみたい。

表題にも書いたが、我々の学年が旧制中学、女学校の最後の学年なのである。
翌年からは、新制中学校が出来て新たな入学はなかったのである。
一中52回、県一47回の卒業生である。

中にこんな記述がある。

『ことの起こりは、ここから始まった。』という書き出しで、
天皇陛下が関西に行幸されることになり、神戸高校を視察され教室の部屋を直してそこに一泊されることになった。』

『昭和22年のことである。その準備に大変であった。』とあり
『当時緊張して陛下をお迎えした記憶だけは、はっきり覚えているが、前後の詳しいことは、全く忘れてしまった。』とある。


確かに、準備だけでも大変だったのである。
その上に私たちのクラスが『天覧授業』を受けることになったのである。
国語の授業だったが、天皇陛下は前のほうから入られて、相対する形になり、
当時の生徒たちは緊張しきって、先生の質問にもまともにものが言えなかったことなど覚えている。
『天皇陛下』という言葉を発するときは背筋を伸ばして、発声するという時代に育った子どもたちである。緊張するのは当然であった。


そんなことは覚えていたが、以下のくだりは、私は全然知らなかった。

『しかし、この後が問題、天皇陛下が行幸された学校とは如何なる学校かと、GHQが調査に来た。英才教育をしているのがGHQの教育方針に反したのか、
各地から越境入学していると『先生も生徒』も現住所の学校に強制転校させられた。』
というのである。

確かに、私も明石高校に転校したのだが、それは単なる規則が変わったぐらいの受け止め方で、天皇陛下の行幸が引き金であったなどとは知らなかった。



そういうことから、
せめて有終の美を飾りたいと、同窓会の名は『有終会』と名付けられたようである。

ちなみに、海軍兵学校の卒業生の会も『有終会』で、海兵出身の先輩に、なぜ『有終会か?』と詰問されたこともあるとか。


そのまま高校に進み神戸高校4回生として卒業された方も沢山居られる。
神戸高校4回生の同窓生で最も有名な方は、
何と言っても、参議院議長を務められた扇千景さん(林寛子さん)であろう。

有終会卒業生521名中、約320名が存命という。みんな77歳前後である。

毎年、同窓会はあり、ゴルフのコンペなどもあってお誘いを受けるのだが、
ホントにたまにしか出席したことがない。
当時、同じ明石から通っていて、G8の国際会議の企画運営などで有名人だった近浪廣君が、今年の10月に亡くなったとか。
何年か前に廣野で同窓会のゴルフで一緒だったのが最後になった。
ご冥福を祈りたい。


ずっとご無沙汰ばかりなので、こんなブログでもアップして置けば
『有終会』と、もし検索したらひょっとして現われて、世に『有終会の名』も残るかと、こんなブログを書いている。

同窓生でブログなどやっている人、いるのかな?
お陰さまで、私は何とか元気です。


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