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まだ、当然現役であった。私は神戸市の裏三木市に住んでいた。
カワサキの国内市場を担当していた。

6時前、何か爆発でもあったのかと思うような揺れに目が覚めた。
大きな地震だとは解った。
家に特に被害はないが、停電になってしまった。

いつものように朝の犬の散歩をする。
このあたりは特に大きな変化はない普通の朝である。
7時過ぎ明石の会社に向かう。
ニュースも新聞配達の人が倒れた壁で亡くなったぐらいのことしか伝えていない。

道の信号機がダメだった。
会社に着く。何人かは既に出勤、特に会社の中被害もない。
倉庫の車が倒れているのでそれを整理中との報告を受ける。

8時過ぎ、川崎重工の明石工場はどうなっているかを見に行く。
工場は誰も来ていないがらんとしている。
誰もいないのが異様である。
鉄道が走っていないので出勤できないのである。

9時前、高橋鉄郎さん(当時の販社社長)に報告すべく電話をする。
『お前今どこから電話してるんだ。この辺は火事やら高速が潰れたりして大変だぞ』
高橋さんのお宅は西宮である。
『テレビを見てみろ、大変なことになっている。』



私の震災は、その時点からが始まりである。
それまでは、別に驚きもせずに、普通に自分の責任分野をこなしていただけであった。

高橋さんの電話で、会社でテレビを見て(その頃停電は解消していた)神戸の状況を見て
まさに、『ビックリ仰天』した。
それはホントかと目を疑うような光景が次から次に映し出されたのである。

会社に出社してきたのも半分ほどであった。
川重も休みにしていたし、午前中で全員帰宅させた。



人間、不思議なもので自分が大したことがなかったら、人の心配まで気が回らないのである。
当時、広島にいた息子夫婦はニュースを見て心配したようだがそんなことにも気づかなかったし、
明石のほうにいた娘夫婦も大丈夫だと思っていたから、その安否も確かめたりしなかったのである。
先方からは電話が通じなくて、後で東京の親戚から連絡もくれずにと文句を言われたりした。

何しろ、朝家を出るとき停電だったので、一番気になったのは熱帯魚の水槽の水温維持のことだったのである。
家内に『時々湯を足して』と頼んで出て行ったのである。
外は、そんなこととても言える状況ではなかったのだが、
人間、自分の心配事が一番なのである。 

今でも状況が解らなければ、そんなことかなとその時のことを不思議に思っている。
後で聞いたが娘婿の実家は神戸で、全壊で神戸に辿り着くまでが大変だったようである。

そんな、15年前の1月17日であった。
幸いにして三木はほとんど被害がなかったと言っていいだろう。

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