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奈良の山本医院の話は、これはひどい話である。
これは殺人事件ではないかと思ったりする。

手術。
病気を治療するための処置として、普通一般に行われているが、
人間は、自分で治す力を元来持っている生き物である。

私自身、何となく運が良くて、生涯2度の手術の機会を2回とも避けて何にもせずに自分の力で元気になった。


★1回目は20歳代の頃、肺結核で空洞まで出来ていた。
半ば、手術をするために入院したようなものだが、1年の薬の投与だけで、ウソのように空洞は消えてしまった。
1年で退院して、以来再発もせず元気にしている。


★ずっと後10年前の話だが、
1999年3月14日、札幌のあるところで、突如『クモ膜下出血』で倒れ救急車で病院に運びこまれたのである。

『クモ膜下出血』 脳の血管が突如切れたのである。
倒れて意識を失っていたが、救急車が来たとき何となく気が付いた。
『くもまっか』という隊員の言葉を聞いて、『これは死んだな』と直ぐ思った。

ただ、ただ運が良くて、倒れてから10分後には、
札幌の脳外科の医師が何十人もいる脳外科専門の中村記念病院
に運びこまれたのである。

この病院は日本で最初の脳外科専門の病院である。
MRIを10年前でも3台も備えていた。
関西などではこんな立派な脳外科専門病院は見たこともない。


★運びこまれた3月14日から3月29日までは、集中治療室にいて自分ではあまり覚えていない。
みんな聞いた話である。

○血管が切れた場所が、なかなか手術が難しい微妙な箇所である。
○手術をするかどうか、会議で検討された結果、手術はしないことにした。
○それについて家族の了解が取られた。
○ただ、この期間に暴れたりしてもう一度血管が切れたら大変で絶対安静である。
○なのに、会社に行くなど、なかなか言うことを聞かなかったらしい。
○気が付いたら、手足を縛られていたりした。

2週間ほど集中治療室にいてその後個室に移った。
そして、4月28日に退院したのである。

結局、何もしなかったのである。
これは何十人も専門医のいる専門病院で会議で治療対策が決定されたから出来た処置だと、
後で主治医の先生が言っていた。
『普通の病院なら間違いなく手術をしたと思います。』

これは間違いなくそうだった。この年の夏、こちらに戻ってある病院に相談したら、
『これは、今からでも手術をしなければいけません。』と言われたのである。


★そんなこともあって、その後2年間ほど何ヶ月ごとに札幌まで診察に通っていたのである。

結局私は『クモ膜下出血の治療』として、手術など一切なく極端に言えば何もしていないのである。

今回の山本医院のようにひどくなくても、病院側は患者は治療の実験材料でもある。
手術をしないという治療法も、ある意味実験かも知れない。
然し、何もない、手術の必要でない人に手術を施すのはこれはやり過ぎ、無茶苦茶である。

★私はホントに幸運でした。

脳の病気などで倒れたら

○静かにじっと寝ていること
○出来る限り早く、救急車などで病院に行くこと
だそうです。
田中角栄さんも小渕さんも、長嶋さんも、遅すぎたようです。

それともう一つ、私が倒れた原因は、『ひどく怒った』からです。
少々ハラがたっても、『ひどく怒ったりしない』ことです。
『アタマに血が上る』まさしくそんな経験をしました。
血が下からどんどん上ってきて、アタマまで来たとき、倒れていました。
くれぐれもご注意下さい。

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